東京新聞・市川隆太記者の追悼文

 

これは設定(Negtvanetie)云々なしで書かせてきただきます。中日新聞北陸本社・報道部長の市川隆太氏が2014年7月14日に亡くなっている事を知りました。そろそろ市川さんに挨拶しておかなければと思い、ネットで下調べをしていました。そしたら…

 

市川さんとはいつでしたっけ?神奈川県警のキャップをやっていらした時でした。当時私はまだ、週刊ポストから週刊プレーボーイに移ったばかりの頃です。平成2年の暮れくらいです。「リクルート事件」が起きる前の事でした。最初にお会いしたのは県警記者クラブの部屋で、当時クラブには雀卓があり、また酒瓶も隠してありましたよね。

日本共産党幹部宅盗聴事件の後です。当時、私はこの事件を調べる為、緒方靖夫日本共産党・国際部長の自宅は勿論、担当検事へ取材もしようとしていました。まだ駆け出しだった私は、全国紙の記者の方へも取材しておりました。最初、当時横浜市役所のクラブに東京新聞尾崎行雄記者がおられ、ある大手紙記者から尾崎さんを紹介され、その尾崎さんから市川さんを紹介されました。

尾崎さんと市川さんは私が、広島に戻った後も気にかけていただいて、あるとき電話したら「どうして逮捕されたこと、気にしてるんですか(こっちに戻って書きなさい)」と励ましていただきました。あぁ…涙で目が腫れます。

前の一文でも触れたように八尾恵さんインタビューの時も、直接はお願いしませんでしたが、ご協力していただき、応援して下さいました。リクルート事件の時も、朝日新聞に抜かれて悔しい思いもしました。

学年は私より二つ上で、青山学院高等部から早稲田大学政経学部それから一時、日経新聞に在籍されていらっしゃいましたよね。無頼派を装いながら、実は何事もきちんとこなす記者でした。まだ私の手元にはありませんが、「番犬の流儀・東京新聞記者市川隆太の仕事」という全く遺志にそぐわない遺稿本が出版されています。責任者は一体誰なんでしょうか?く、悔しくて私、この一文を書き直しました。

この本には恐らく書かれていないであろうこと、たくさんあります、市川さんの伝説は…川崎市郊外の竹藪から1億円が発見された時も、私に電話かけて来て「ポスト(週刊ポスト)がこの件で抜いたらしいのだけど、発売日前にどこかで手に入らないか?」と、私は「新橋駅前だったら発売前の日曜に売っています」ってお応えしたこと今でも鮮明に記憶しております。

よく横浜・野毛にあった焼き鳥屋さんの「鳥かご」で飲みました。こちらが酔っていても、いつもニコニコして情報交換したあと、颯爽と記者クラブへ「原稿の締め切りが」といって戻られました。

東京に職場が移り、特報部部長として活躍されたのも広島から大変嬉しく思っていました。TBSのニュース23で市川さんの仕事ぶりが放送された時も、「やはり市川さんはこれから新聞記者を目指す人の手本になる方だな。憧れる人たくさんいるだろうな」と思いました。

最後にお電話でお応えいただいたのが特報部長の時ですから、何年経ったでしょうか?お亡くなりになった時は私は、東広島・呉道路の馬木ジャンクションの最終工事現場で警備隊長しておりました。ちょうど暑かった頃です。まさか脳出血で、しかもほとんど即死状態だったそうですね。

私も、昨年4月に視床出血を起こし入院しました。1ヶ月で退院でき、今では薬を飲み、血圧測定をきちんとすれば、こうして元気で仕事ができるまでになったんです。今、私がやろうとしていること、書こうとしてること、市川さんだったら、何ておっしゃるでしょうか?同じ2014年に他に二人、大事な人が亡くなったと事を知りました。三人目です,市川さんが…。皆、同列に語る事なんて不可能です。

 

尾崎さん、東京新聞が最近、なにか変だなと思っています。市川さんの後輩に当たる方の仕事ぶりを見ていて。全力で批判しても宜しいですか?御社を…あぁ…また目が腫れる。何事もきちんとやり過ぎたのではないですか?市川さん。

ちょうど、今日、他紙のことですが、こんなニュースが入ってきました。市川さんは確かに「伝説の記者」ですが、早すぎますよ、伝説となるのは…

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